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  歴史となりたち
2000.2.26
 
街道とは

街道とはそもそも何でしょうか。

かつての移動には徒歩か馬しかありませんでした。それには今とは比べようのないほどの時間がかかります。そこでその道をゆく人々のための休息・宿泊施設や、馬の飼料を得る場所が必要になりました。これらの施設が、公の制度として設置された道路が街道といえます。列車のとまる場所を駅といいますが、宿場のことも駅というのもこのためです。早い話かつての公的な交通機関です。

江戸以前の街道

このような形になったのは江戸時代からですが、東海道の歴史は古く、紀元前二世紀にはすでに東海道が開通していたと言われています。奈良時代以前にはすでに駅制度(宿場制度)や関所が導入されていました。それらは大陸の制度に模して制定されました。

鎌倉時代にはいって幕府が鎌倉におかれると、鎌倉と京都の間での往来が自然に繁になります。これが実質的な東海道のはじまりと言ってもかまいません。当時は五十三次ではなく六十三の宿次が置かれていたと言われています。

戦国の時代にはいって街道はその趣をかえます。群雄はめいめいの領地で割拠して、領地の守りを固めましたので必然的に往来は制限されました。関所は軍事的・警察的な目的に使用されるようになり、街道の整備は各群雄が個別に行うようになります。軍隊の移動のために整備された街道もあれば、防備のためにわざと荒廃させられた街道もあります。要するに戦国時代の街道とは、領内の城下町を中心とした個別的なもので、群雄の政治がそのまま交通に反映したと言っていいでしょう。

安土桃山時代になって国内が統一されいくと、道路を統一する必然性が生まれてきました。これに尽力したのが織田信長です。まず三十六町を一里として、一里毎に一里塚と呼ばれる目印を築かせました。人足や馬の提供を公に命じる伝馬制度もこのころ始まったと言われています。

江戸時代以前の街道はあくまで政治支配者のための街道でした。公的物資や軍隊の移動、また支配者にとって必要な情報をいち早く伝えるために街道は整備される必要があっということです。

江戸時代の街道

江戸時代にはいって江戸幕府が開かれると、江戸と京を結ぶ東海道は整備されます。それまで人足や輸送に従事する馬方は街道沿いの街々で個別に営業してました。それを一定の場所のみで営業させ、公的な使役のために利用できることとします。これがやがて東海道間に五十三カ所おかれましたので、東海道五十三次と呼ばれるようになりました。しかしこの時もまだ街道は庶民のために整備されたのではなく、参勤交代など幕府の利便のために開かれました。同じように中仙道も整備され、後述しますが、こうして五街道と呼ばれるものが生じました。また道中を取り締まる道中奉行も置かれ、並木道や一里塚もこのとき整備されます。

やがて江戸文化が熟成していくと、庶民の間でも旅が流行するようになります。「入り鉄砲に出女」と言われたように幕府は民衆の移動を制限しました。旅にはすべて許可が必要だったのです。社寺巡礼の旅がもっとも一般的だったのは比較的容易に許可が得やすかったということにも起因してます。

こうして江戸と上方の間で本格的に庶民文化の交流がはじまったことによって文化的な発展が急激におこり、今に至っているのです。

       
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