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江戸時代、諸大名が一定の時期、江戸にとどまる事を参勤といいました。そして交代の時期に封地へ戻ることを参勤交代と称しました。始まりは寛永十二年(1635年)に三代将軍・家光が発布した武家諸法度において定められました。一般に江戸と任地との交代は一年毎でした。江戸末期になるとこれが大大名は三年の一年の江戸滞在、他は三年に百日の任期と改められることになります。
では参勤交代は実際どのように行われたのでしょうか。出発の時期はわかっていましたので、出立の数ヶ月前に休憩や宿泊する宿場にあらかじめ伝え、本陣を確保するとともに、必要な人員等を押さえておきます。また家臣も大勢率いていきますので、そのために多くの旅籠の確保も必要でした。なお大名が宿場に泊まると、家臣が泊まることもあるという事情や、武士と庶民のトラブルがあっても困るため、全旅籠は一般客を拒絶して休業状態で待機するのが常でした。
出発直前になりますと、宿割役人を遣わして、どの旅籠に誰がとまるかを張り紙していきます。そして本陣には、関札を渡しておきます。大名が泊まっているときに本陣の玄関に関札がかかげられ、門には紋入りの幕をひいて、どこの大名が滞在しているか旅人に分かるようになってました。関札ですが、宴会などで何々御一行様と書かれている様子を想像してもらえばいいと思います。
また道中の費用はすべて大名の負担となっていました。また道中の費用だけでなく江戸と国元との二重生活によって参勤交代は経済的に大きな重荷となっていました。一方では宿場町の繁栄や街道の整備、文化面では江戸文化と地域文化の交流など、江戸社会にとって大きな役割を果たした制度ともいえます。
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