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水口宿が成立しはじめたのは室町期で、伊勢参宮の宿村としてはじまったと言われています。豊臣治世の時代になって、中村一氏によって水口岡山城が古城山に築かれると、水口も宿場町としての町割りが整備されていきました。ですが関ヶ原の戦いによって水口岡山城は落城。徳川家は水口を直轄領と定めます。このため、亀山宿同様に水口宿も城下町でありながら幕府の直轄領という変則的な形態をとることになります。
また寛永期の三大将軍・家光の大上洛にともない水口に大規模な御茶屋が築かれました。やがてそれが現在の水口城(正確には水口城址)になりここに水口藩がおかれることになります。こうして急速に城下町としての体が整いました。藩主は一時期鳥居氏になりますが江戸期を通じて加藤氏がつとめています。
行李や釜敷などのつづら細工、キセル、かんぴょうなどが名産だったといいます。かんぴょうは、加藤氏が下野から移封されたおりに導入されという逸話もあります。また食の名物として、泥鰌汁が有名でした。
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