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関宿と土山の間が離れていた為にもうけられた宿で、もともとはその名の通り鈴鹿峠のすぐ下にありました。しかし、慶安三年(1650年)に大洪水で宿場の機能が失われたため十町(約1.1キロ)ほど東側に移されることになります。統治は幕府の直轄領でしたが、一時期は亀山藩領となっていました。
また林間の宿場ですが本陣三・脇本陣一が置かれていたことでもわかるように、鈴鹿峠越えのために利用されることの多かった宿場でした。助郷村も多く、宿場としては繁盛していたと言われています。
ところで現在。関から草津までの区間は、明治二十二年に東海道線が全通し翌二十三年に草津線が開通すると、交通幹線としての機能を失って寂れてしまっています。
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