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関宿は古代から鈴鹿峠を控えた交通・軍事の要衝で、三関(※注)のひとつである鈴鹿の関がおかれたところです。
その歴史は平安期に、加太越えの街道が鈴鹿越えに移ったことから始まっています。中世には関谷とも呼ばれ、東海道、伊勢別街道、大和街道が分岐した交通の要所でした。室町期には関所がすでに関が置かれていましたが、一時織田信長により廃止されています。江戸期になり東海道が整備され、四十七番目の宿として、そして鈴鹿峠への入り口として大変繁盛しました。
また名物は関こんにゃくや火縄でした。特に竹をつぶして編んだ竹火縄は有名で数十軒の店が軒を並べたと言われています。基本的には大名の御用達でしたが、旅人が煙草を吸うために買い求めたため繁盛しました。
なお元和元年(1615年)に一時幕僚となりますが、寛永十三年(1636年)から亀山藩領となっています。
※三関
古く、都の防衛のために設けられていた三つの関のこと。平城京時代には、伊勢の鈴鹿関、美濃の不破関、越前の愛発関を指した。平安京にうつると愛発関の代わりに近江の逢坂関がおかれた。
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