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庄野宿の成立は東海道でももっとも遅く寛永元年(1624年)になります。石薬師から庄野宿までは二十五町(約三キロ)と東海道でも二番目に距離が短い宿で、為に石薬師宿と同じく、宿の経営は決して楽とはいえませんでしたが、幕末には道中の往来も増えました。
また庄野の名物「俵の焼米」は有名でした。『東海道名所記』には次のようにかかれています。長いですが少し引用します。
この宿の名物は、俵の火米(やきごめ)なり。その俵のなりは、大さにぎりこぶしほど也。青き緒にて編たる小俵也。中を、また青き緒にてつよくしめたれば、倫子(※)のかたちに似たり。内に火米すこしあり。家ごとにならべをきて、売りけり。往来の旅人、買もとめて、国もとの生子孫どもに土産とて、とらするぞかし。
つまりは、握り拳ぐらいの青い紐で結ばれた俵の中に少し焼き米の入ったものでした。
また広重の描くここ庄野の「庄野・白雨」は傑作とも言われてますので画像をリンクしておきます。
※倫子
倫子は誤りで輪鼓(りゅうご)とも書く。鼓のように真ん中がくびれた道具で平安時代以後、曲芸に使われていた。
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