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現在の愛知県豊橋市御油町。御油宿は広重の東海道五十三次にも描かれているように留め女で当時有名な宿でした。隣接赤坂宿までわずか一.七キロということもあって、各旅籠は旅人をここに泊まらせようと、すさまじい客引きをしたと伝えられています。
また御油は通称「姫街道」が分岐する追分け宿としての機能ももっていました。そのためこの街道の旅人でもにぎわいました。なお姫街道とは、本坂街道の俗称で、今切りの渡しを避けて三方ヶ原の北を横断して天竜川を渡り見付宿付近で東海道へと合流する古い街道でした。船を嫌った女性が通る街道として利用されたので姫街道と呼ばれました。
こうして江戸期を通じてここ御油宿は多くの旅人と留め女で大変なにぎわいをみせた活気ある宿場でしたが、このあたりの宿場(赤坂宿など)の運命と同様、東海道本線がこの地からはずれたこともあり明治以降は急速さびれました。
なお御油の名所は天然記念物にも指定されている「御油の松並木」でしょう。これは御油から赤坂関川までのおおよそ六百メートルにわたり、街道の両側に老松の並木が続いています。慶長九年(1604年)から徳川家康が約六百五十本の松を植えさえたとされていますが、今は車の排気ガスなどで多くの松が枯死しています。それでもかつての旅の風情を今の私たちに伝えてくれる貴重な場所の一つです。
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