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袋井宿の制定は他の東海道の宿場より遅く元和二年(1616年)でした。掛川と見附の間が四里と広く(東海道の場合宿場間の平均は二里)、その間を埋めるために袋井が追加された経緯があります。こうして東海道五三次・二七番目の宿場となりました。二七次目ということで袋井がちょうど真ん中の宿となります。
地名の由来は、四方が丘にかこまれ田がひろがっておりその真ん中に大きな泉があったので、袋井と呼ばれるようになったと伝えられています。
宿場の規模としては小さく、町並の長さも資料によれば五町あまりしかありません。これは街道中最大の岡崎宿の三十六町の1/5以下の大きさでした。また、宿場にはこれといった名所名物もなくひっそりとした静かな宿場だったようです。
ですが視野を広げてみるとこの地は、近隣の「遠州三山」に代表される仏教文化の花開いた土地でした。遠州三山とは真言宗二寺と曹洞宗一寺を指しています。
真言宗・医王山油山寺は目病治癒、真言宗・法多山尊永寺は厄除けとして、曹洞宗・万松山可睡斎は明治以降秋葉神がこの地へ移されたこともあって火伏の神として祭られ、現代でも多くの参詣客でにぎわっています。
現代の袋井には当時の宿場の風情を思い起こさせる物は残念ながらあまり残っていませんが、平成四年に町作りの一環として袋井宿場公園が作られています。
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