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掛川宿は宿場だけでなく掛川城の城下町としても大変にぎわっていました。 掛川城は1513年に今川家によって築かれました。やがて桶狭間の合戦をえて今川家が滅びると、掛川城は徳川家の城となり武田家への前線基地として重用されました。秀吉の時代になると掛川へは内助の功で有名な山内一豊の所領となり、このときに城下が整備され発展をとげます。
宿駅制度後は、掛川は徳川譜代の大名がまわりもつようになり、カマド神としても名高い近隣の秋葉神社への参詣客もあいまって、たいへんなにぎわいを見せた宿場でした。
名物は合羽や裃、袴などにつかわれた葛布でした。当然町には機織りを生業とする家が多く、はたおり女は男にもまさる稼ぎをしていました。他の土地でもそうですが機織地の女性は土地柄として尊ばれ、男が生まれるとかえって喜ばれない風潮がありました。やくざ渡世となって諸国へ旅にでる人がこのような土地の出身者に多かったというのも、そういう理由からきているようです。
なお掛川城が平成六年に木造で再建されるなど、現在の掛川は歴史と旅情を感じさせてくれる町となってます。
余談ですが、個人的に木造の城といえば一筆啓上で有名な福井県・丸岡城をすぐに思い出すのですが、掛川城も木造だったんですね。もっとも丸岡は現存するっていう枕言葉がつくのですが。
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